2011年1月30日日曜日

ほんやくこんにゃくのある世界

新年からダイエットを始めたはずなのにウェイトが微増している、どーもスミスです。たぶん昼にフライ物を食べすぎなんだと思います。

さて、昨日Google Chromeの自動翻訳のすごさについてのエントリーを書きましたが、ただただすごいってだけではなく、そこで考えたことについても書いておきたいと思います。

私キムズムは、プロフィールにもあるように在日コリアン3世です。

韓国籍ですし、つまり韓国人じゃんってことなのですが、「日本一空気が汚い町」でお馴染みだった川崎で生まれ育ちましたし、小中高と日本の公立学校に通っていましたので、韓国語/朝鮮語に関してはまとにに教育を受けたことがありません。

「サランヘヨ」とかも知りませんでしたし、「アンニョンハセヨ」すら知りませんでした。90年代までは、韓流とかまったくありませんでしたしね。

つまり、国籍やルーツは自覚してるけど、全然話せないし、理解もできなかったんです。

その後、いまもシゴトをしている在日韓国人団体に出会って韓国語/朝鮮語を勉強しだし、コリアンを自覚するなら言葉は必須かという意識と、シゴト上の必要にも迫られて実践でなんとかかんとか体得しかけているって感じなのです。

でも、ルーツがあってもそれまで意識していなかった「生活上必要のない」母国語を、20歳を過ぎてからマスターするって本当に大変だと思っています。

ここらへん、日本の中での外国人、他民族に対する教育を保障する問題にもなるのですが、またそれは今後まとめて書くとして、今回は「まぁ日本人も中高大と英語を勉強するけど、それでも全然できないし、言葉の習得って大変だよね」って意識を共有できたらよいなと。

で、話を戻すと、この自動翻訳ってすごい助かったりするのですが、考えたのはむしろその先のことです。言語が違うってことで成り立っていることは、なくなっちゃうんだろうなということ。

そう遠くない未来に、AR(拡張現実)とかが生活レベルで実働しだしたら、テキストだけじゃなくて音声も同時に翻訳されるシステムが出てくるでしょ。そうしたら、「他言語」ってなくなってしまう。言語が統一されるとわけじゃないけど、言語の差って感じることが難しくなるんじゃないかということ。

そうすると、今まで言語を操る能力っていうのがすごく重要だったけど、それは誰でも技術でカバーできちゃう状況が訪れる。通訳とか翻訳って仕事はなくなるし、これからの新入社員はTOEIC700点以上が必須とか無意味になる。帰国子女で言葉ができるってだけでちょいモテのアドバンテージもなくなります。←ひがみ

在日コリアンにとっても「え、○○って韓国人なの?じゃ韓国語で話してみてよ」の無邪気な日本人の台詞に、「あ、俺、日本で生まれ育ったから、韓国語はちょっと...」と返してちょっと気まずくなり、「じゃあ日本人と同じだね」というお決まりの言葉で強引にしめられてしまう会話もなくなる。

そうなると、求められるのは本当の意味でのコミュニケーション能力。ツールとしての言語を扱う能力ではなく、立場を表明したり、議論したり、落としどころをつくったり、聞き出し引き出したり、ケンカしたり、自分という人間を表現して伝えることだったり。

本当の意味で待ったなしになって、個人の(人間)力が試される社会の到来ですよね。

そうなった時に、自分はサバイブできるかなぁ。発展に寄与できる力があるかなぁ。なんてことを考えちゃったりして。

ではでは。

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